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愛犬を安楽死させた同僚の涙

「猫ニンゲンですか?」と訊かれたら、「うーん、動物が好きなんで、実は猫でも犬でもどちらが好きというわけではないんです」と答えるしかない。

実家は、母が動物好きなこともあって、物心ついたときから、犬、猫、ウサギ、各種鳥、雌鳥、金魚などありとあらゆる動物たちがいた。

だから、その「家族の一員」を亡くしたときの悲嘆も理解できるつもりだ。

でも、わたしの私生活に関して言えば、今のところ、まだ去年亡くした愛猫のことを書くつもりはない。まだ、きちんと書ける気持ちの余裕がないからだ。考えただけで、心臓の鼓動が速くなるのもその一因。
だから、学校で同じオフィスを分かち合っていても、誰にもわたしが猫を亡くしたことを言わなかった。

オフィスで発覚したのは、昨年末に「今度、仔猫が来るの」と言ったためだった。「あれ?じゃあ2匹になるの?」と言った語学科主任の言葉にわたしは一瞬つまった。どうしようか、と思ったがもう涙が出ていた。

そんなわけで、皆その場で「なぜ、何ヶ月もの間、わたしがただの一言も愛猫の死について言えなかったのか」悟ったのだと思う。

その語学科主任が、昨日、15年間一緒にいた愛しいゴールデンリトリバーの安楽死を選んだ。

年とって寝るばかりになっていた彼女は、とうとう全く動かなくなり、下血が始まったからだ。病院に連れていったときには、もう昏睡状態になっていたと言う。
彼女のように話せれば、もしかしたらわたしも楽になっていたのかもしれないな、とふと思った。涙が後から後からあふれて、それでも愛犬のことを話す彼女の話を「うん、うん」とこちらも涙を拭きながら聞いた。

昨日一日、時々涙を拭きながら彼女はそれでも、全ての授業をこなした。放課後は、いつものようにわたしと残業をすることなく、机を離れて家に帰っていった。

結局6時まで残って仕事を片づけた帰り道、遅くまで開いている大きいドラッグストアに寄った。
カードを探したかったのだ。沢山の誕生日カードの片隅に、色の少ない「お悔やみカード」がある。それを眺めていたら、ふと目に留まった1枚。ペットロスのカードだった。そのカードに、自分の言葉を手書きで添えた。

「あなたの悲しみは、昨年5月のわたしの悲しみ。あなたの涙は、昨年5月のわたしの涙。どんなにあなたが唇をかみしめても、わたしにはわかる。あなたの胸の痛みが。心からの、お悔やみを」

チョコレートに目がない彼女のために、ちょいと良いチョコレートの小さな箱を添え、今朝彼女の机の上にそっと置いておいた。

2時間目の終わり、語学オフィスに戻ると、彼女が目に涙をためてわたしを抱きしめた。

「ありがとう、ありがとう。わたし、悲しいのよ。本当に」

学校から帰ると、彼女からのメールが届いていた。

“I just wanted you to know how much I appreciated your card and the chocolates. It was such a lovely thing to do and it meant so much to me to know that you cared and that you understood how I was feeling. You are a very thoughtful and kind person and I consider myself lucky to have you not only as a colleague but as a friend. “

「あなたのカードとチョコレートにどんなにわたしが感謝しているか、ちょっと知ってほしかったの。あなたがしてくれたことは本当に嬉しいことだし、あなたが優しいひとでわたしがどう思っているかを理解してくれたということが、どんなに大きな意味をもらたしてくれたことか。あなたは、とても思慮深くて優しいひとだわ。そして、あなたのようなひとがわたしの同僚でいてくれたことだけでなく友達でもいてくれたことで、わたしはとてもラッキーだと思っているの」

こういうメールは、本当に嬉しい。

わたしがもし去年の5月に「自分の愛猫を亡くしたことを言っていたとしたら」、彼女もまたそういうことをしてくれたであろうことは、よくわかっている。彼女は、そういうひとだ。

ただ、わたしにはできなかった。わたしは1日学校を休んで号泣することを選んだ。

 

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2 COMMENTS

reecaty

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私は子猫を立て続けに2匹亡くしました  その前にチンチラとアメショウを飼っていたので 
別に純血種にはこだわらないとMIXの子をむかえたんです  とても可愛い子でしたが 最初から下痢をしていて 連れて行った獣医も猫は得意じゃないらしく 自分たちもよくわかっていなく といろんなことが重なって10日で亡くなってしまいました  
獣医は自然淘汰だと言いました  大人には なれない子だったと
あの時のショック 憤り 悲しみ  心臓をギューと握られているみたいな痛み 苦しさ
もう8年たつのにあの子のことを思い出すのがつらいです  その子のかわりにとペットショップが
よこした子も猫風邪であっという間に 亡くなってしまいました  
家族で泣いて悲しんだだけでなく 私は従姉にそのときの悲しみを話そうとしたら「また殺したの?」と言われたんです  心が凍りつきました
経験がなければ 人はわかってくれない それどころか傷つけられるということも学びました 
自分の中にその時のいろいろな思いがじっくりと熟成されているから同僚の方が欲しかった
優しい手を差し伸べることができたんだと思います
がびさんの優しさはとても強い優しさですね         長々とすみません

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がび

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★reecatyさん:

ペットを飼ったことのないひと、また決して「家族の1員」とはみなしていないひとたちは沢山います。そういうひとたちにとって、犬や猫がほかのひとたちにとってどれほどの意味を持つのか、全く理解できないんです。

笑い話のひとつとして、自分の犬が隣人の家のペットインコを殺してしまったときのことをおもしろ可笑しく話すひとがいました。なじることはできません。そのひとにはわからないんですから。わたしはそっと席をたちました。

またあるときには、猫の死を嘆き悲しむ同僚がまたもその話を始めたとき、後ろで「あーあ、また猫の話か」とこれみよがしに言うひともいました。

主任のお母様は去年亡くなりました。そのときには、語学科で一緒に花束とカードを送りましたので、わたしひとりでは何もしませんでした。でも、今回はやはり皆「犬が死んだからと言ってカードや花までは」と思ったのかもしれませんね。

自分が取り乱す姿をひとには決して見せたくない、と思ったのはわたしの自尊心かもしれません。家では泣いて泣いて、眠れないほどの夜をずいぶんと過ごしましたが、そのときにこうしてネットで猫ブログを追い始めたんです。

そして、思ったんです。わたしはひとりじゃなかったんだ、と。そう気づけただけでも、わたしは幸せだと思うようにしています。

reecatyさんのお気持ちも、わたしには痛いほどよくわかります。

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